「シュヴァンクマイエル映画祭2015」について


ヤン・シュヴァンクマイエルからのメッセージ 

 

 私の全ての映画は、全体主義(トータリテリアニズム)やいわゆる民主主義(デモクラシー)という文明の「裏面(バック・サイド)」において創られました。同時に、これらの映画は想像的なものであり、またこの幻術的な想像力は常に転覆的です。何故なら想像力は、実在(リアル)であることより可能であることを優先するからです。また、魔術的な想像は日本の伝統的な美術や芸術にも見受けられます。これゆえに、私の映画は日本の観客の皆様に受け入れられているのかもしれません。同じく私は、黒澤明監督のサムライ映画や魑魅魍魎に溢れる歌舞伎ないし伝統的な浮世絵などを嗜好しています。 ご覧いただく映画祭のために選定した映画は、私の創作において想像の上位的な地位を示しているものです。何故なら、私は常に、フランスの偉大な詩人シャルル・ボードレールのように、想像力を人間の諸能力の女王と見なしていますから。

ヤン・シュヴァンクマイエル


<解説>

チェコが生んだシュルレアリスト、ヤン・シュヴァンクマイエルの映像の錬金術。
動かぬものに命を吹き込み、世界が絶賛する驚異的なアニメーションの数々を上映致します。
長篇デビュー作であり国内外に根強いファンを持つ『アリス』や、妻であるエヴァの絵本を組み合わせベルリン国際映画祭でアンジェイ・ワイダ賞などを受賞し た『オテサーネク』、コラージュを駆使しシュルレアリストとしての側面が炸裂する傑作『サヴァイヴィング ライフ』と代表的な長篇3作に加え、カンヌ、ヴェネツィア、ベルリン、アヌシーなど、作る作品が軒並み世界的な評価を受ける数多の傑作短篇を合わせ、全6 プロ・22作品を一挙上映致します。
また、シュヴァンクマイエルの原点ともいえる舞台作品の中でも関係の深いラテルナ・マギカの『魔法のサーカス』からシュヴァンクマイエルが人形演出をした場面を特別上映致します。


映像デビュー作である短篇『シュヴァルツェヴァルト氏とエドガル氏の最後のトリック』(1964)から、一番新しい長篇『サヴァイヴィング ライフ』(2010)まで、監督生活50年を超えるシュヴァンクマイエルの世界を網羅的に愉しめる機会を是非、お見逃しなく!


<シュヴァンクマイエルによる作品解説>


『アリス』について 
私の映画『アリス』の目的は、表面的には控え目なものです。つまり、現代文明においては考慮されることのない夢にもう一度注意を払うことです。社会は夢を私たちの精神のごみ捨て場においています。なにしろ、夢を学問的にあつかった最後の基本論文、フロイトの『夢解釈』(1900年)はすでにほぼ百年前のものなのですから!
(国書刊行会『シュヴァンクマイエルの世界』より抜粋)


『オテサーネク』について 
 オテサーネクは、子供の童話として知られていますが、実はそうではないのです。この話は何度も読んでいるのに、恐らく読み方が表面的だったのでしょう。なんと深いテーマが隠されているのだろう、と気づきました。そして私は物語の続きを考えたのです。
(2001年『オテサーネク』公開時フライヤーより転載)


『サヴァイヴィング ライフ』について
 恐怖は、私たちの存在のもっとも奥深い底を流れる、暗い、地下の川です。そして、起きているときも寝ているときも、私たちのあらゆる瞬間に影響を与えています。フロイトが言うように、もし夢の目的が、秘められていたり、明らかになっていたりする、私たちの欲望を充足することであるなら、自分自身の内部の深いところで、もっとも基本的な人間の欲望は絶えず充足されているはずです。それこそ、自分自身の人生を生きのびるということなのです。
(2002年 東京カレンダー『ヤン・シュヴァンクマイエル 創作術』より抜粋)


「ラテルナ・マギカ」について 
劇団を連れてラテルナ・マギカに移り、1964年まで私はそこで演出家と、プラハ・チェルネー・ヂヴァドロのリーダーを務めました。私がラテルナ・マギカ に着いたとき、(創立者の)アルフレート・ラドクはもう追い出されていました。けれども、幸運にも、彼の弟で、《多面スクリーン法》の「発明者」のエミ ル・ラドクは残っていられ、彼のほうがずっと年上でしたが、おたがいに共通点が多いことを知りました。
(国書刊行会『シュヴァンクマイエルの世界』より抜粋)



『ドン・ファン』について
『ドン・ファン』の映画化を思いついたときから、私には、これが最後の映画になる、撮影中に死んでしまう、という考えがたえずつきまとっていた。さまざま な口実をつくって撮影を延ばし延ばしにしていた。ようやく撮りはじめたときも、私はいつか撮り終えるだろうとは思わなかった。
(1971年 国書刊行会『シュヴァンクマイエルの世界』より抜粋)


「共産党政権下の検閲」について
正常化の時代には、アニメーション映画も一般映画やドキュメンタリー映画と同じように細かく検査されはじめました。私も、音楽を入れ、ナレーションをはず して、文句の出ないヴァージョンをつくらなければならなかった映画『コストニツェ』にかかわる自分自身の問題についてならお話しすることができます。映画 『部屋』は、『庭園』と同じようにお蔵入りとなりました。『レオナルドの日記』は検閲から攻撃され、『ジャバウォッキー』は禁止されました。『オトラント の城』の問題のあと、私は1980年まで映画がつくらせてもらえず、1980年に許可が下りたときでさえ、文学の古典をテーマに選ぶという条件付きでした (ですから『アッシャー家の崩壊』なのです)。1980年代でも、あいかわらず細かい点まで検査されていました。私の『対話の可能性』も禁止され、『陥し 穴と振り子』も厳しい検閲のもとにおかれました。『対話の可能性』はチェコスロヴァキア共産党中央委員会のイデオロギー委員会で、敬遠すべきものの見本と して上映されました。
(国書刊行会『シュヴァンクマイエルの世界』より抜粋)


「消費」について 
現代人の人生は、流行(トレンド)によって動かされている。テレビ、商業放送、それに類する映画ないしコマーシャルは、人がいかに生きるべきか、殊にどう消費すべきかを彼らの頭に刻みこもうとするのである。
(2001年 ステュディオ・パラボリカ『夜想 シュヴァンクマイエル』より抜粋)